『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』(安宅和人著、ニューズピックスパブリッシング)――(2)

『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』(安宅和人著、ニューズピックスパブリッシング)――のブックレビュー(書評)第二弾

AI×データで完全に出遅れている日本だが、逆転するチャンスは残されている。

そう説く筆者の安宅さんだが、日本が勝ち組になるとしたら、それは「妄想」だと言う。


日本は「妄想力」を英才教育している珍しい国

「妄想」とは何か。

筆者によれば、「この国は3歳児ぐらいから、この妄想力を半ば英才教育している珍しい国」だ。


「攻殻機動隊しかり、鉄腕アトムしかり、はたまたドラえもんに出てくる『ほんやくコンニャク』、『お医者さんカバン』、『暗記パン』、『エラチューブ』しかり、これらはよく見ればフェーズ2,フェーズ3そのものだ」

(本書より引用)

安宅さんの言う「フェーズ1」「フェーズ2」「フェーズ3」について、改めて確認しておきたい。一回目の書評では、18世紀から始まった産業革命に即して説明したが、ここではデータ×AI時代のフェーズを紹介する。

【フェーズ1】
データとAIの利活用が大半の産業で広がる段階。1994年にアマゾンが創業、1996年に日本のヤフーが誕生したのは、このフェーズ1における「サービス業の萌芽」と位置づけられる。

【フェーズ2】
フェーズ1で生み出された技術があらゆる分野、空間、機能に広まっていく段階。センサーを使ってさまざまな情報を計測・数値化するセンシングがあらゆる分野、空間、機能で使われるようになる。

【フェーズ3】
データ×AIの世界がインテリジェント化して、エコシステムが構築されていく最終段階だ。あらゆるモノ、あらゆる場所がセンサーによって計測できるようになれば、例えば「200メートル離れていても心臓の鼓動で人を判別する」こともできる。また、「機械が壊れることを1ヵ月前に予測する」こともできる。街全体が、乗り物全体が、インテリジェント化していくのだろう。まさに、私たちが思い描く未来社会が出現するのだ。


誰も目指さないことに関心を持つ「やばい人」が優秀な人

妄想力に話を戻そう。

安宅さんはあるセミナーで「とにかく妄想力を鍛えたければ保育園か幼稚園に行って子どもたちとしゃべるとか、やれることはいっぱいある」とまで言っている。

この妄想力の話から、AI×データ時代の人材像も見えてくる。

妄想力が大事だということは、「創造」「刷新」が大事だということであり、「未来のカギとなるのは普通の人とは明らかに違う『異人』」と強調する。

従来のオールドゲームなら、資格試験に合格したり有名な会社に入社したり同じ目標に向かってみんなが走る競争で勝ち抜くことが大事だった。しかし、ニューゲームでは、多くの人が目指さない領域に興味のある「異人」、別の言い方で言えば「ヤバい人」が優秀な人だ。

従来は、科学、工学、法律、医学など個別領域の専門家が優秀な人とされたが、これからは、「夢を描き、複数の領域をつないで形にする人」が優秀な人だ。

2020年3月20日号の日経ビジネスが「世界のヤバい研究 変人が真の革新を生む」という特集を組んでいるが、安宅さんの主張と通じるものがある。


漢字の書き取り、計算ドリル、これからは機械がやってくれる

では、AI×データの時代に優秀と呼べる人材を育てるために、どういう教育をすべきなのだろうか。

筆者はまず日本の学校の実態に呆れている。

「現在の初等教育は、漢字の書き取り、計算ドリルに相当量のリソースを投下している。(中略)しかし、これらは今やキカイがほぼすべてやるのが当たり前のことだ」

「日本では軍事訓練かのような『気をつけ!』『前ならえ!』、そして制服と過度の校則の強制が日常的に行われている。給食を食べられないなら食べきるまで座らせるという、一般社会でやればパワハラそのものを行っている学校や教師もいまだに相当数存在する」

(本書より引用)

日本の初等教育、中等教育は、「総じてマシンとしての子どもを育成している」のだ。


マシンとしての子どもに育てないための4つの原則

安宅さんは「unlearn」の教育を行うべきだと主張する。unlearnとは、意識的に「脱学習」することだ。

そのために4つのことを推進すべきだと言う。

何を教えるにしても作業内容ではなく意味、目的を主として教える。

体験する、ものを読む中でその人なりに感じること、引っかかることを優先し、そこから生まれる気持ちを育てる。

近代・現代に偉業を成し遂げた人の、過度に偶像化されていない話に触れ、考えさせる。

◆その人らしい知覚と深みの育成を阻害している仕組みを取り除く。

4つのうち上3つは文字通りだろうが、4つめの「阻害している仕組み」については、少し説明がいるだろう。それは、制服、校則、不必要なルール、世界常識から乖離した軍事訓練系の号令は原則廃止すべきだという。


学ぶべきは文法学、論理学、修辞学のリベラルアーツ教育

学ぶべき学問については、リベラルアーツ(基礎教養)の大事さを強調している。安宅さんによれば、リベラルアーツは、古代ギリシアで生まれた概念で、「自由民」に求められていた基礎教養、基礎的なスキルだった。それは今で言うSTEAM教育だと。

もっと具体的に言えば、文法学、論理学、修辞学のリベラルアーツ教育の基礎となる三学を身につけるべきだと。

「データ×AIリテラシー以前の能力として、分析的に物事を捉え、筋道だてて考えを整理し、それを人に伝える力の養成が必須だ」

(本書より引用)

分析的に物事を捉え、考えるために必要なのは、「国語力」と「数理的基礎力」だと安宅さんは考える。ただし、日本の学校で教えている国語は、これには該当しない。

「感想文という名の『感じたことの書き連ね、建設性のない批判』が中心に行われ、『論理的かつ建設的にモノを考え、思考を組み上げる』構成能力の育成は決して明示的に行われていない」

「日本における母国語教育とは、慮(おもんぱか)り、空気を読む能力、社会に出たときに丸く角が立たず生きる力を鍛える場」

(本書より引用)

分析し、構築し、伝えるという本来のコミュニケーション能力は、日本の学校では学べないという悲しい現実を指摘している。ならば、学べる学校を探すしかない。社会人になってから独学で学ぶしかないが、果たして間に合うのか。

数理的基礎力、STEAM教育は中等教育までに学ばせたい

もう一つ必要な「数理的基礎力」は、初等教育、中等教育の段階でしっかり学ばせるべきだとも主張している。

著者はこの本の中で人材育成については紙面をたくさん割いて、次世代に通用する人材教育のあり方を説いている。「安宅さんが文部科学大臣になれば、日本はもっと変われるのに」と思ってしまうのが、正直な読後感である。

(ジャーナリスト、ほき・しもと)